“何だか分からないものを求めて”/木許裕介さん(東京大学)【ギャッパーインタビュー11】

今回のギャッパーインタビューは東京大学教養学部4年の木許裕介さんにお話しをお聞きしました。木許さんは、2011年4月から1年間の予定で休学し、ジャーナリスト・立花隆氏の助手を務めつつ、指揮者として活動するなど、非常にユニークなギャップイヤーを過ごしています。木許さんの休学した理由と現在の活動について、また将来について、お話しを伺いました。

 

「何だか分からないものを求めて」

木許 裕介さん/東京大学教養学部地域文化研究学科フランス分科四年

 

今回のギャッパーインタビューは東京大学教養学部4年の木許裕介さんにお話しをお聞きしました。木許さんは、2011年4月から1年間の予定で休学し、ジャーナリスト・立花隆氏の助手を務めつつ、指揮者として活動するなど、非常にユニークなギャップイヤーを過ごしています。木許さんの休学した理由と現在の活動について、また将来について、お話しを伺いました。

編>木許さんはいつごろから大学休学を意識していたのですか?また休学することになったキッカケを教えてください。

木許> ほとんどの人がそうであるように、大学に入るまではもちろん、入ってからも休学については一度も考えたことがありませんでした。ただでさえ浪人を経験していますから、休学や留年なんて絶対にするわけにはいかないと思っていました。ところが大学3年になると、「休学」という考えてもみなかった選択肢が突然目の前に現れてきます。詳しくは割愛しますが経済的な理由がまず一つ、それから立花隆と村方千之という二人の「師匠」と出会ったことがきっかけになります。

編>立花隆先生とはどのようなご縁で出会ったのですか?

木許>僕は東京大学に入学した時から「立花隆ゼミナール」という、ゼミのようなサークルのような場所に入って活動していました。このゼミというのは何をしているかというと、簡単に言えば色々な人にインタビューにいっては記事を纏めて社会に放つ、ジャーナリスティックな活動をしている場所なんですね。そのアドバイザーのようにして立花さんが毎週駒場キャンパスまで来て下さっていました。

立花隆、といえば途方も無い量の読書量でご存知の方も多いと思います。僕も本が大好きな人間で、本の話を先生とさせて頂くうちにいつの間にか先生の事務所(通称猫ビル)にお邪魔させて頂く機会があったんですね。猫ビルに入って圧倒されました。なんという数の本!!しかもただ飾りのように並べられている訳ではなく、一冊に無数の線が引いてあり、年代物の付箋が貼られており…ここにある一冊
一冊が立花隆という人間の頭脳を構成しているのだと実感しました。

そして立花さんがガンの手術をされた後だったと記憶していますが、僕らに向かって、マラルメの「乾杯の辞」という詩を引用しながら「僕はもう船の船尾にいて、先はそう長くない。残り時間は限られている。」というようなことを言われたことがあったんですね。その言葉に焦りを覚え、ならば残りの時間、先生のもっと近くで学びたいという思いを強くしたのです。

編>それでは、村方千之先生とは?

師、村方千之と

木許>2009年、つまり僕が大学2年の秋に、色々な偶然が重なって、指揮者の村方千之先生の元に弟子入りしました。村方先生は、現在の日本の指揮者の中で最高齢(86歳)で、吹奏楽連盟の初代理事を務められた方でもあります。吹奏楽コンクールの「金・銀・銅」というシステムを作られた方であり、そして斎藤秀雄という日本の「指揮法」の産みの親に師事された方でもあります。

門下に飛び込み、「指揮」を一から教わって行く中で、たった棒一本と自分という存在だけを使って音楽を「引き出していく」というこの芸術の底知れない魅力に、みるみるうちに引きこまれていきました。86歳のおじいさん、つまり24歳の僕にとっては曾祖父ぐらいの年齢にあたる方が、僕よりもずっと素早く、力強く、豊かで、叙情とエネルギーに満ちた音を引き出すのです。この不思議!

弟子入りして二ヶ月後に、村方先生は最後のヴィラ=ロボス(ブラジルの作曲家。村方先生はこの作曲家の曲を日本に紹介し続けました)コンサートを開かれたのですが、そのアンコールに演奏された「ブラジル風バッハ四番」の前奏曲に触れて、涙がとまらなくなりました。人間はこんなに人の心に染み入るような感動を生み出す事が出来るのか!と。

そして、中途半端に学ぶわけにはいかないという思いになりました。村方先生はそのご高齢ゆえに、先生から学ぶことが出来る時間は限られています。何よりも優先して学ぶためにはどうすればいいか、一分でも多く学ぶためにはどうすればいいか、ということをそのコンサートの後からずっと考え始めました。

編>そして決断された、と。

木許> そうですね。立花隆・村方千之というお二人は、やはりそのご高齢ゆえに「残り時間」を強く意識していらっしゃる方だし、その側にいると僕も自身の「残り時間」を意識せざるを得ません。僕は自分の人生であとどれだけのものを学ぶことが出来るのだろうか、と。
立花先生にせよ、村方先生にせよ、こんな人たちはもうこの先の時代に二度と現れないだろうし、こんな人たちの側で学べる機会は二度とないだろう、ならば今を逃してはならない、という焦燥感に取り憑かれました。失われゆくこのお二人の「知性」と「感性」を学ばねばきっと一生後悔する、と思ったんですね。

所詮、僕はまだ23歳です。きっとあと数十年ぐらいは生きられるでしょう。ならばそのうちの一年を捧げても大した問題ではありません。年齢を重ねて色々なものが不利になるのでは、なんていう危惧はいつしかすっかり吹き飛んで、4年生に進学する直前の1月ぐらいに休学することを決意しました。東京には珍しいほど雪が降った冬の夜だったことを覚えています。

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