古市邦人さん(日本公文教育研究会”公文式” 姫路事務局)【メンターインタビュー 3】


 

「自分がやりたいなと思えることに出会えた」

古市邦人/日本公文教育研究会(公文式) 姫路事務局 (大学時代に1年間でギャップイヤー)


今回は社会人で学生時代に休学し、ギャップイヤーを経験された古市邦人さんにお話を伺いました。古市さんは休学された1年間でオーストラリアから東南アジア中心に旅されました。そこで教育の魅力にとりつかれ、現在のお仕事をされています。

 

本当にこの仕事がしたいのか

編>休学される前の学生生活はどのようなものでしたか?

古市>足裏マッサージをするサークルに所属していて、そこでイベント活動をしたりしていました。大学3年が終わるまでは、そんなに幅広い人脈を作ることもありませんでしたね。カフェとコラボして足裏マッサージ付きのディナーコースを作ったりもしていたので、学生とのつながりというよりは、カフェや商店街のオーナーさんとのつながりが多かったですね。

編>普通の大学生とは逆ですね。足裏マッサージのサークルはご自身の中で大きなものですよね。なぜそこに入ろうと思われたんですか?

古市>何をするにせよ、一般的なサークルやバイトをするのが嫌だったんです。せっかくサークルに入るんなら、新しい経験をしたいじゃないですか。

編>そもそも何故休学しようと思われたのでしょうか?

古市>漠然と卒業後の進路を不安に思ったんです。たまたま世界を旅してきた人と話す機会があり、「インドはいいよー、価値観変わるよ!」と言われたのがきっかけで、自分もいつかはこういう旅がしてみたいなと思うようになりました。それに自分がそれをしていないことに対して悔しさがあった。長い休みとって世界を旅するだとか、学生である今しか出来ないことだろうなと思っていましたし。

編>変わった経験をしたかったということでしょうか。

古市>多分そうだと思います。その時は大学3年生で就活も考えながら、休学の準備もしていました。その頃の自分は漠然とカッコイイなという憧れで新聞記者がやってみたかった。でも2、3年生の時にポっと出てきた気持ちだったから、自分は本当にこれやりたいのか、その資格があるのか分からなかった。新聞記者の仕事がすごくハードだというのも聞いていましたし。それで、休学していろんな世界を見る中でジャーナリストとして、見たものを伝えることや、知らないものをどんどん見に行くこと。そういうことをずっと続けてしんどいと思えば止めればいい。そういう自分試しのような、本当にこの仕事がしたいのかどうかを確かめに行ったんです。

 

サークルで身に付けた技術を世界で試したくなった

編>大学生活に窮屈さとかは感じていましたか?

古市>自分は足裏マッサージサークルの代表をやっていた頃は、後輩に常々「このサークルに入った君たちは無力ではないのだ」と説いていましたね。「世界中どこ行っても、言葉が通じなくても、足は揉める。それを揉ミニケーションって言うんだ。こんなにすごいコミュニケーションツールを君たちは今手に入れたんだ」って。自分もそれまで人と話したりするのが苦手だったけれど、足裏マッサージを始めてから人と会話するのに慣れることが出来た。その自信がだんだん強くなっていって、バイクで日本各地を旅行しながら駅前で足裏マッサージをやりながらコミュニケーションを取ったりしていました。それでもまだ「世界中どこへ行っても、人とコミュニケーションとれるのかな…」というのは実際に自分でもやったことがなかったから分からなかった。じゃあそれをやってみようと思って。日本の生活に不満があったわけではなくて、このサークルで身に付けた技術をもっと世界で試したくなったんです。

編>周りの人に相談はされましたか?

古市>自分の場合は先輩が進めてくれたのが大きかった。高校を卒業してすぐ単身ニュージーランドに行った先輩がかっこよくて、「俺はあれで人生変わったから、是非お前にも海外へ行って欲しい」と言われました。「英語を使いながらいろんな国の人とコミュニケーションとれば、ホントに人生観変わるから」って。親は「連絡さえしてくれれば」と言われましたね。すごく理解のある親でした。

編>就活が1年遅れることに不安は?経歴に関しては?

古市>就活のスタートが遅れるという不安は多少ありました。オーストラリアにいながら、リクナビには登録していましたし。でも経歴に関しては逆にプラスになるんじゃないかとさえ思っていました。休学は有利になる場合も、不利になる場合もあると思います。でも休学中に何をしていたか、人に話せるようなことは絶対に経験できると思っていましたから。就活で不利な評価をされるという不安はありませんでした。

自分はそこで何を感じるのか

編>休学を決心された後、どこを旅しようと考えていたのでしょう?

古市>とりあえず東南アジアを回ろうと思っていました。先輩に「インドへ 行ったら人生変わるぞ」と言われていましたし、あとは一番安くて比較的安全だったから。先進国へは行ってもあまり意味がないと思ったんです。日本と街並みも変わらないですし、衝撃を受けないと思ったから。南米やアジア、日本と全く違う場所を見たいと思っていました。ジャーナリストになりたいという観点から言うと、ある雑誌で生々しい紛争の写真や、最貧困の生活している人の特集を見たのですが、その現場が信じられなくて、そんな場所を1度見たかったんというのもありました。「こんな状況下で生活している人ってどんな人達なんだろう」その光景見て自分は何を感じるのか知りたかったんです

編>でもオーストラリアに最初は行かれたと。

古市>最初は資金が足りなかったので、ワーキングホリデーを利用して語学学校で英語も勉強しながら少しお金を貯めたかったんです。そのお金で東南アジアに行こうと考えました。

編>バイトと、語学学校を並行されたんですね

古市>あの頃のオーストラリアは州の最低時給が15~16オーストラリアドルくらいでした。当時のレートで1000円くらいかな。でも日本人は英語が話せないから、日本食レストランとかで時給9ドルくらいで働かされるんです。それが悔しくて、マッサージのデリバリーサービスを始めました。通販で折りたたみのベッドを買い、チラシを英語で作って駅前で撒いたりポスティングをしたり。インターネット広告もしましたね。そのうち友達の紹介等でお客さんが増えていき、食えるくらいにはなりました。でも貯金は出来なかったからその仕事を辞めて、結局ラーメン屋の厨房と日本食レストランのウエイターでお金を貯めました。注文も電話応対も英語でのやり取りになるから、英語の勉強をしながらバイトが出来ましたね。

編>でもマッサージは面白かったのでは?

古市>マッサージの仕事は楽しかったですね。後々知ったんですが、シドニーのゲイ人口が世界で2番目と言われているらしいんです。デリバリーで家を訪問したら、裸のオッチャンがマッサージしてくれってこともありました。喧嘩したら負けるから必死でマッサージしました(笑)

 

 


編>お金を貯めた後、東南アジアへ。行く場所など旅のテーマはありましたか?

古市>ベトナム・カンボジア・タイ・ミャンマーを回りました。テーマは雑誌で見たそれぞれの国の問題点を見て回ろうと思っていました。普通の観光地ではなく、ベトナムの軍事境界線や孤児院といったところです。

編>印象に残っている出来事はありますか?

古市>ベトナムの、水道も出ないような田舎のバスの休憩地点みたいなところで、お土産売りをしている小学校高学年くらいの男の子と出会いました。その子は英語を話せたから少し会話していたんです。その時も今付けているものと同じ、この首飾りを付けていて「それってニュージーランドのグリーンストーンでしょ?」ってその子が聞いてきたんです。実際ニュージーランドでしかとれないものなのですが、何故それをこんな田舎の子が知っているのか疑問に思ったんです。その男の子はお土産を売りで色んな国の観光客と話をしたことがあって、その時に貰える世界中のコインを集めるのが趣味らしく、日本のお金も500円玉から1円玉まで持っていました。自分もそれまで何か国か行っていたから、少しくらいは世界のこと知っている自信はあったけれど、その子の方が詳しいと思った程でした。それだけ詳しかったら、その子は海外旅行にも行きたいだろうな…と。でもベトナムで日本行のチケット買うのと、ベトナムで日本行のチケット買うのとではレートの関係で日本の10倍くらい働かないといけない。

編>この前、ベトナムの大学生とお話しする機会があったのですが、家庭講師の時給が日本円にすると80円くらいらしいです。

古市>それはまだ良い方だと思いますね。そんな経験から、日本に生まれた俺と、ベトナムに生まれた彼。一緒のはずなのにこんなに理不尽なことがあるのかと思うようになった。そこで、貧しい国が何故大変なのかが分かったんです。自分の国だけで生活していて、その国の物だけを買っていれば、そんなに不自由はしない。でも海外とやり取りをするときに初めて、貧しさを強烈に味わうんだなと感じました。何故こんな貧しさが生まれたんだろう、何故こんなにも格差があるのかな、そんなことに疑問を持ちながらカンボジアへと行きました。カンボジアで訪れた孤児院ではボランティアティーチャーを募集していたので、そこで英語や日本語を教えたりしましたね。青空教室みたいな感じで、夜になったら大人も勉強しにくるんです。勉強出来ることが嬉しいことなんだなって、教える側になって初めて感じましたね。今の仕事を選んだのも、その時の経験が大きいんです。休学して、本当に自分がやりたいなと思えることに出会えて、すごく就活がしやすくなりました。

日本の子供達はチャンスに気付いていない


編>他にも教育へつながる、印象に残っているご経験はありますか?

古市>ベトナムにもカンボジアにも、日本が造ったものが沢山あるんです。ミャンマーでは〇〇幼稚園と書かれたバスが普通に市バスとして走っていたし、ガソリンスタンドも日本語で書かれた看板がある。ODAのような支援もあるけれど、この国が本当に豊かになるにはこういうものを自分たちで作っていかなければならない。それが貧困脱却のための第1歩だと思います。そのために何が1番大事かと考えると、やっぱり教育。そのための教育基盤作りが1番大事なんじゃないかと。日本に生まれる子と、ベトナムに生まれる子。それだけでチャンスがこれだけ違う。そのチャンスの差を縮めてあげたい。

編>日本の子供はチャンスを捨てすぎているのでしょうか?

古市>義務教育になっているからそれは仕方ないのだけれど。旅の途中、偶然カンボジアで学校を建てようとしている学生団体の代表に出会ったんです。就活が終わってから俺も一緒になって活動して、実際に中学校を建てることが出来ました。開校式にも出席して、そこにいる子供達全員が「勉強が楽しい」と言っているのを聞きました。チャンスを求めている子たちはそれにしがみつくけれど、元々チャンスだと思っていない日本人は、それを捨てているんです。日本の中だけで見たらチャンスではないけれど、世界の中で見たら大学行ける人は100人に1人。中学や高校に行けるというのは、世界的に見ればチャンスだということに日本の子供は気付いていないんです。

編>そういう経験が現在されている仕事につながっているのですね。将来的にはどんなことをやっていきたいですか?

古市>今の会社では、公文式の教室で立派な子が育つお手伝いをさせていただいています。直接子供とは関われないけれど、その子供と直接関わる先生とは関わることが出来る。少しずつでもその先生たちと力を合わせて、子供を育てていきたいと思っています。

編>海外と教育を結びつけたいという気持ちもあるのではないでしょうか?

古市>そうですね。公文式は世界中にあって、カンボジア教室ができるなら立ち上げの仕事も出来るかもしれないですし。でも、まずは日本からと考えています。

編>休学経験者として、ギャップイヤーについてどう思われますか?

古市>休学は1年間自由な時間が増えるだけですから、デメリットは無いと思います。多浪であるとか年齢的にコンプレックスがあるならともかく、ストレートや1浪くらいで大学に入っているなら、1年のギャップくらいで何も変わらないし、本当に自分の責任で好きなように時間が使えると思います。卒業する時に、「これ、やっとかな後悔するやろうな」というシコリをちょっとでもできそうな人がいれば、是非休学して解消して欲しいですね。大学生が終わるまでに何かやっておきたいという気持ち。自分の場合1つは休学して旅を、もう1つは休学期間でなくても、フリーカタタタキができた。社会人になって学生気分引きずりたくもないし、1つでもやり遂げたことがあって社会人になるのと、ズルズル引きずって社会人になるのとは違うと思いますね。

~取材者後記~

現時点で自分は物書きとして活動をしている。人と会話をして、それを文字に起こして人に読んでいただく仕事。話していただいた言葉を一言一句同じように文章にするのではなく伝わりやすい言葉へ言い換え、想いをくみ取って自分の言葉として発信している。いまのところ、休学前の古市さんと同じように新聞記者も興味のある仕事の一つである。でも人生は何があるのか分からない。大学へ入学した時の自分が、今こんな気持ちになるとは思っていなかったのも事実である。これからこの気持ちが変わるかもしれない。でもある程度の年齢に来てから、その後悔はしたくないし、していては遅い。だから将来やりたいことになりうる可能性のある分野のことは、学生時代になるべく経験しておくべきだと思う。古市さんのように、海外に行きたい人は行っておいた方が良い。社会人になってたまたま海外へ行き、そこで後悔していては遅い。あらゆる経験を学生時代に経験するなんて無理だ。だから、可能な限り、色んなことを経験する必要がある。将来の仕事候補になりそうなものは全て。

取材:松下周平(Gapyear.jp大阪編集部 関西大学文学部3回生)

古市邦人
所属先: 日本公文教育研究会(公文式) 姫路事務局 (大学時代に1年間でギャップイヤー)
ギャップイヤー中の主な活動:オーストラリアへ語学留学・東南アジアひとり旅
HP : http://zaq.ne.jp/users/katatataki

~主な経歴~
2008年4月 大学を休学、オーストラリアへ
同年10月 東南アジアの旅へ
同年12月 帰国
2009年4月 復学